東葛病院 地域に根ざしてともに歩む
 
東葛の健康

No.271 2007年2月号

胸部CTは必須 2006 年度肺がん検診 集計から
東葛病院の医療 呼吸器科

 東葛病院は2005年度より流山市の肺がん検診2次精査医療機関の認定を受け、検診で異常が認められた方に対して胸部CTなどの検査を行い、肺がんかどうか調べてきました。昨年9月から12月にかけて2006年度の肺がん検診で異常を指摘されたために2次精査の目的で27名の方が当院を受診され、そのうち3名の方に肺がんが見つかり、2名は早期のがんで手術により切除ができました。

増える肺がん

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 肺がんは男女合わせて年間6万2千人以上も亡くなる臓器別では一番多い「がん」です。
 たばこやアスベストの暴露は肺がんの発がん因子とされており、初期は胸部レントゲンで影が写るのみで、自覚症状は全くないことから、胸部レントゲン写真での検診が従来から行われています。

昨年の肺がん検診 

 流山市の2006年度の肺がん検診でチェックされ2次精査の目的で当院を受診された方は27名でしたが、その内訳は、男性11、女性16、年齢は46歳から89歳(平均69・4歳)でした。
 最初に撮られた検診の写真(1次検査)の結果は、肺癌疑いが22名で、ほか胸壁や縦隔の腫瘍、古い肺結核、石綿肺(じん肺)と診断されていました。
 全員に胸部CT検査(コンピューター断層撮影)が外来を受診した当日に行われ、肺に影があるかどうか調べ、呼吸器専門医が結果を説明しました。

3名に肺がんが発見

 その結果、肺の中に腫瘤影を認めた方が3名おり、これらはすべて肺がん(腺癌)と最終的に診断されました。幸いに、2名の方は早期の肺がんで、当院にて胸腔鏡下に手術が行われ、完全切除されました。うち一人は、89歳と超高齢の方でしたが術後の合併症もなく、元気に退院されました。
 なお、胸部CT検査で問題なかった方は、胸部レントゲン写真で肺の外側の乳房や肋骨が重なって異常な影のように見えてしまったためでした。

以前の写真と比較が重要 

 教訓的な例としては、肺がんと診断された方の中に1次検査で「肺結核の古いもの」とされていた方がいました。この方は、最初に受診されたかかりつけ医のところで、以前の写真と比較して、どうもおかしいと判断され、当院へ紹介となり、肺がんが見つかりました。
 以前の写真と比較することで、最終的に判断が正しい方向に修正できた例です。

胸部CT検査の勧め   

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胸部検査に威力を発揮している最新CT

 残念ながら一枚の平面写真での肺がん発見には限界があり、高危険群と考えられる重度の喫煙者やアスベストを暴露した職歴のある方には、胸部CT検査が勧められます。
 胸部CTの装置は、年々改良が進み、1回の息止めにて胸全体の輪切りの像がすばやく得られ、高解像度の画像が写し出されます。
 当院では新型CTを用いた肺がんドックも行われており、肺がんが心配な喫煙者にお勧めします。



公開医療倫理講座
終末期医療 在宅で看とること
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司会:柳田月美
医療相談室主任

 昨年11月18日、初石公民館において『第2回公開医療倫理講座(主催:東葛医療倫理問題研究会)』が開催されました。講座には開業医・介護事業者の方々をはじめ東葛健康友の会々員や病院職員、駅ポスター等で知り参加したという一般市民の方など130人が参加し、『終末期医療』に対する関心の高さを示しました。会は、柳田月美ソーシャルワーカーの司会で進められました。開会挨拶の中で伊藤淑子医師が「昨年開催した一回目の講座では『DNR・死とどのように向き合うか』をテーマにシンポジウムを行った。今年は、その継続と更に発展させた内容での講演とシンポジウムを開催することにした」と趣旨を説明。波平恵美子氏の『死を意義あるものとする文化―過去・現在・未来』と題する講演の後、本間章医師が基調報告を行いました。
 開会挨拶、講演、基調報告と5人のシンポジストの発言要旨を紹介します。

開会の挨拶
「終末期医療」のあり方についてさらに深める場に
伊藤淑子(東京勤労者医療会総院長)

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伊藤淑子総院長

 本日は「終末期医療 在宅で看取ること」ということですが、たくさんの方々にご参加いただきまして本当にありがとうございます。昨年、東葛病院倫理委員会の主催で、「DNR 死とどのように向き合うか」を開催しました。DNRというのはがんの末期や老衰などでそれ以上医療を行っても救命の可能性のない場合に、もし心臓が止まったり呼吸が止まった場合でも、救命処置である心臓のマッサージや人工呼吸器の装着、治療をしない、そして自然に死を迎えるという、このDNRという問題をめぐってシンポジウムを行いました。参加された方々はもちろん、そのシンポジウムの内容を知った方からも、死の迎え方について、もっと普段から考えることが必要だ、との声が聞かれました。
 そこで今年は、もっと大きな形で会を開こうということで、東葛医療倫理問題研究会主催、東葛病院と東葛健康友の会の後援で、この講演とシンポジウムを開催することにしました。会の進め方としましては、まず、お茶ノ水女子大学名誉教授の波平恵美子先生から「死を意義あるものとする文化―過去・現在・未来」と題してご講演をいただき、次に病院、あるいは訪問診療を担当する医師、看護師、家族の方などをシンポジストに、「終末期医療 在宅で看取ること」をテーマにシンポジウムを行います。全部合わせますと大変長丁場となりますけれども、頑張って参加していただきたいと思います。それでは最初に講演してくださる波平恵美子先生をご紹介したいと思います。
 波平恵美子先生は、九州大学教育学部、続いて大学院研究科博士課程を終了されたうえ、テキサス大学大学院人類学研究科で博士号を取得、その後、佐賀大学助教授、九州芸術工科大学芸術工学部、これは現在九州大学に合併されていますけれども、その教授を経て、お茶ノ水女子大学教授として、今年からは名誉教授として文化人類学の研究を続けておられます。先生の著書も多数で、皆さんの中にはすでに読んでおられる方もいるかと思いますが、「からだの文化人類学」「病と死の文化」「日本人の死のかたちー伝統儀礼から靖国まで」などを挙げることができます。
 本日はそういった先生のこれまでの豊かな研究成果の中から、たくさん面白いお話を聞かせていただけるものと思います。波平先生、よろしくお願いいたします。

講演
「死を意義あるものとする文化―過去・現在・未来」
波平恵美子(お茶の水女子大学名誉教授)

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講師・波平恵美子氏

 人間が人間らしく生きるにはどうすればいいかをどのように追求し、その結果がどのように多様な生き方を発達させてきたのを研究するのが文化人類学という学問領域です。
 人間らしく生きるとはどういうことなのか、それを人間が追求した結果、出てきたもの、それが文化です。文化はその追求のプロセスで多様なものを結果的につくっていきます。多様ではありますが、過去から現在まで一貫して見ることができるものがあります。一つは家族。今一つが「死の文化」と呼べるものです。

 人間がなぜ人間らしくということを考えるようになったのか。人間は他の動物と違い、想定するとか想像するとか予測するとかの能力をもっている。想像すること、何度も学習した結果、こういうことが起こるという想定はできますけれども、人から話を聞いただけで、自分の上に確実に起こる、という想定、想像ができるのは人間だけです。このことが人間が死というものについて、豊かな死の文化を開花させた最大の原因であろうと思います。
 自分は確実に死ぬことを知っている。そして、自分の存在に直接つながる人たちがたくさんいて、そういう人たちのほとんどはもう死んでしまった。つまり、会ったことがない、面影を想像することはできないけれども、自分の存在に関係しているたくさんの死んだ人たちが存在していたことを知っている。
 死を意義あるものとする文化、豊かな死の文化を発達させてきたのだが、今や豊かな死の文化というものを捨てようとしているのではないかという危機感を持たざるを得ないような事件や現象が生じています。人間が人間らしく生きている、人間らしい存在になっていることを支えているものというのは、いくつかありますけれども、先に述べたようにその一つは家族であります。もう一つは死の文化を発達させたことです。
 さて、死を意義あるものとする文化は、それぞれの時代、それぞれの社会によってずいぶんと違います。日本はどうなのかと申しますと、非常に早い速度で近代化が進みました。近代化が欧米先進国よりも遅れて生じましたが、しかしすぐに近代化が始まり160年、170年近くたっておりますけれども。しかしながら、日本というのは、この近代化が社会や文化全体の中でまだら模様のように起こっております。日本だけではありません、急速な近代化を遂げた場合近代化はまだら模様のようになっています。
写真  研究者の中には、日本人は死をタブー視する、死を語らない、死から眼をそむけているということを度々書いておられる方がいます。しかし、私の研究の立場からは異なる見方をします。死との向き合い方は文化が違うと、やり方が違います。日本人は死と向き合わないというのは、死を言語表現しないというところを取り上げて語っているようにしか見えません。
 たしかに、日本人の文化は死を言語化しないで儀礼という行為でもって表現しています。この死者儀礼の日本的な特徴は、常に亡くなった人の身近であった人が、家族であったり血縁者であったり親しい友人であった人が、死が確認された直後から遺体に頻繁に接触するわけです。お棺の蓋を開けて顔を見るとか、お線香をあげるとか、絶えず誰かが近づく。つまり、死者儀礼は常に遺体に関して行われるということです。しかしながら、死んでその人の魂はどうなるとかということをはっきりした言葉で語ることはありません。死というものが行為で示されているために、記憶に残りやすい。一方、その儀礼の行為をする人以外の人たちには、そのことが伝わりにくい。
 「死を意義あるものとする」その意義とは何かと申しますと、死者とのコミュニケーションができると想定してそのコミュニケーションしつづけるということが、生きている人間と死んだ人間との違いを明確にし、生き残った人間である私は、どんなふうに生きていければいいか、ということを考えさせる非常に重要な意義を持っていることになります。
 在宅で亡くなる場合と医療施設で亡くなる場合とでは死の文化が変わるわけですが、その場合、日本人が過去において、どれほど死者とのコミュニケーションを取ることに長けていて豊かな文化を作り上げていた事を考慮したいものです。
 その死の文化を作り上げようとした背景には、生きるということの意義は死の意義を通してでしか見えてこないことをわかっていたのです。土葬から火葬に急激に変わりました。しかしきれいな形で遺体の骨が残るように焼くすばらしい技術を開発し土葬の時と同じように骨格がきれいに残るように火葬しているのです。表層部分は非常に変わっているけれども、基本のところでは変わらない。文化の変化は深さにおいても、表面においてもまだら模様になっている。
 今後、単身者が増えてくると、在宅で死ぬようになっても、身寄りも家族もいない、というような人たちも出てくる。日本の社会全体がかつてないような多様化の時代になってくる。
 個人個人の生きざま、死にざまも多様な形になっていくでしょう。そうしたとき、人間が人間らしく、生きていくためには、従来の日本の死の文化の中のどの部分だけは残さなければならないのかということを決めるのは、もちろん政府ではありませんで、私たち国民一人ひとりであろうと思います。
 その一人ひとりが、死の文化をどんなふうに変えたいのかを考える時がきています。

基調報告:終末期を在宅で看取る
本間 章(東葛病院院長)

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本間章院長

 ただいまの波平先生のご講演をお聞きしまして、死を意義あるものにする、死者とのコミュニケーションをとる、それが「生きる」ことにつながっている。目からうろこがおちる思いでした。
 今日は終末期の看とりについて、第2回公開医療倫理講座を開催することになりました。私たちはいつか、死をむかえなければならない。病気の終末期あるいは老衰などで人生の最後をどこでむかえるか、選択できるようになってきました。患者さんが終末期を在宅ですごすと選択したときに、患者さんの要求に沿って医療や介護を提供するため、どういうことができるのか。どんな問題があり、何に留意しなければならないのか。ということを論議していきたい。
 お手元のプログラム2ページをご覧ください。表がありますが、厚生労働省の人口動態統計です。自宅で最後を迎える人が1960年代までは70%以上おられたのですが、1976年を境に病院、医療機関で亡くなる人の比率が逆転し、それからはずっと病院・医療機関で亡くなる人が増えつづけています。2004年自宅で死亡した人は12・4%で90%近い人が病院・医療機関で亡くなっています。理由は核家族化、病院が増えたなどの状況によります。
 波平先生がいわれたように一人っ子や孤独な環境が増えてきているなどの社会的要因があります。患者さんが在宅で最後を迎えたいと希望されても、そうはいかないという場合も増えています。
グラフ それに対して、最近、厚労省の調査で終末期をどこで過ごしたいかを聞いたところ6割の方が自宅で過ごしたいと回答されました。最後まで自宅で最期を迎えたいと回答した方は1割。これには介護している家族に負担をかけるのが心配。急変時の対応に不安がある。医療機関側の問題としては緩和ケア病床がすくないことや療養病床の削減など期待したケア・介護が受けられないという理由が大きい。
 在宅でのバックアップ機能が充実すれば、自宅のほうがより自分らしく過ごせ、束縛がすくない、病院より療養環境もよいと考える方が増えてきたのではないかと思います。
 今年4月から、在宅療養支援診療所という制度がスタートし、最後まで自宅で過ごしたいと希望される方のバックアップ体制ができてきました。在宅で看取るのは、末期がんや高齢者の終末期の場合が多いと思われます。癌の疼痛コントロールはいろいろ手段が開発されてきている。対応も工夫されてきている。
 それに比べて高齢者の終末期はどこが終末期なのか、なかなか確定しづらいという面がある。終末期なのか、病状の悪化なのかどうか、判断が難しい複雑な状況があります。病院と診療所、訪問看護師さんとケアマネージャーの人たちがチームを組んでいく仕組みが大変重要だといわれています。
 私たちも自分らしく最後を自宅で迎えたいと思う方々に心から援助をしていきたいと思ってチームを組んで行ってきています。柳田邦雄さんが「2・5人称の医療」といっている。家族ではないが、あかの他人ではない。そういう気持ちで在宅での医療をすすめていきたいと思っています。
 今日は、お母さんを在宅で看取られたご家族の方をふくめて5人のシンポジストがいろいろな角度から報告していただきます。
 終末期の在宅での医療について論議したい。みなさまからもぜひ活発な討論をお願いいたしまして、私からの基調報告といたします。

在宅療養に対する不安を取り除くことが重要
片岡優子(五東病棟 医長)

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片岡優子医師

 高齢者やがんのターミナル、神経難病、脳梗塞等の後遺症で麻痺が有るなど介護が必要な方のご家族が自宅での看取りを決意される場合、入院の経験が一度もないということはまずありません。こういう病気は、入院して病状が安定しても完全になおるわけではなく、患者様やご家族は多かれ少なかれ、不安をかかえて退院することになります。この不安をできるだけ解消するために、病院では退院前にカンファレンスを行ないます。
 まず入院中の担当医が医療ソーシャルワーカー(以下MSW)に病状等について説明し、MSWが患者様やご家族と面談してどのような医療および介護、福祉サービスが必要なのかを把握します。そして必要な部署の関係者が集まり、カンファレンスをおこないます。
 例えば通院できない方については訪問診療を担当する医師や看護師、訪問看護師、ヘルパーやディサービスを利用する場合はケアマネージャー、自宅でも継続してリハビリテーションが必要な場合や自宅の改修が必要な場合は理学療法士、作業療法士、言語聴覚士といった、リハビリテーションのスタッフなど種々の職種(もちろん病棟担当医や看護師、MSWも)が合同で、退院までにはどのような準備が必要で、その準備には何日かかるかを判断し、退院日を設定して各々が準備を行ないます。病院では、主に看護師が介護される方に、必要に応じて経管栄養、清拭、吸入器の使い方や痰の吸引方法などについて指導します。
写真 このような準備をして退院されても、病状は次第に悪くなっていきます。特に介護が大変なのは、進行性の認知症や、超高齢者です。こういう方々は認知機能、身体機能が低下し、いわゆる普通の生活を維持するのが困難になってきます。そうすると介護している方は無力感や疲労感を覚えて介護に疲れてしまいます。
 もっと病状が進行すると空腹感もなくなり、食物や水分をほとんどとらず、一日中床についた状態になります。このような状態になった場合、すべての方が生命維持医療(水分や栄養分補給のための点滴や抗生物質での治療、心臓マッサージ、人工呼吸器の装着など)を行なう権利と同時に行なわない権利も持っています。
 介護をなされている方は、入退院を繰り返す間に病棟担当医や訪問診療担当医からこのことについて説明を受け、理解はしていてもやはりやれることは全部やらないと見殺しにすることにならないかと考えたり、いや、自然に苦しくないように逝かせてあげたいと思ったり、気持ちが揺れ動きます。
 そこで治療を希望されて入院してみると、認知症の方にとって入院生活は苦痛でしかなく、点滴を自分で抜くなど治療に抵抗されることがよくあります。このような行為があると、やむをえず拘束されることにもなりかねません。拘束されるくらいならやはり自然にと考えると、治療は終了し、退院することになります。このとき自宅での看取りが現実のものとなり、介護される方はあらためて不安になります。この不安を軽減させるために、今後おこりうることと、その対応について入院中に詳しくお話しをします。
 このように、病院は在宅療養に対する不安をとりのぞき、ひいては看取りをおこなうための準備をする役割があると考えます。

患者様とご家族のお気持ちに寄り添った訪問看護を
二階堂則子(江戸川台訪問看護ステーション所長)

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二階堂則子看護師

 「在宅療養支援診療所」と「訪問看護」について紹介させていただきます。在宅療養支援診療所は24時間患者様やご家族の求めに応じて、訪問診療・訪問看護が提供できるという制度です。訪問診療と訪問看護の具体的な内容は (1)医師、看護師と24時間電話連絡がとれ、場合によっては休日や夜間の訪問ができます。(2)訪問看護ステーションの看護師によって必要な介護指導や、医師の指示により医療処置やケアを行います。訪問の日時などは患者様のご希望をなるべく優先しています。当法人の訪問看護ではケアプランも担当できます。(3)治療に関しては、自宅でご本人・ご家族の希望をお聞きしながら、薬の処方や、点滴を行ったりして症状コントロールのご相談に応じられます。(4)根本的な治療がなくても、家に戻ったからといって、入院ができないというわけではなく、具合の悪いときは、入院相談もさせて戴きます。
 訪問診療と訪問看護が連携しながら、患者様がご自宅で過ごせるように医療をおこなっています。
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発言する向小金クリニック・大津所長
 たとえば癌の方の場合、痛みがでた時はいつでもお電話をいただいてご相談をお受けし、状況によっては医師がご自宅に伺って、必要なお薬を処方することもできます。これまでのように、痛みで救急外来の受診や我慢して戴くということはが無くなり、患者様の不安を軽くすることができるようになりました。
 24時間の対応が可能になって1番の特徴は、最後までご自宅で過ごしたいと希望される方が増えたことです。癌の末期や老衰の患者様は「治らない病気なら家で死にたい。でも、苦しくなったらどうしよう」という不安を必ず抱えています。ご家族も患者様が苦しんでいる姿を目の当たりにするのは不安なものです。自宅での看取りを希望されている方には、事前に「お別れのパンフレット」というご臨終までの経過をまとめたものをお渡ししています。何かあっても医師や看護師が臨時の対応を行うことで「家での最後」の希望のお手伝いができるようになりました。
 また、訪問診療が24時間対応になってからは東葛病院を退院する方だけでなく、都内や近隣の大病院からの退院や通院中の方も多く訪問診療を開始しています。「急に病状が悪くなってしまったが、どうしたら良いかわからない」「通院先に入院したいが入れない」「もう病院には行きたくない」といったことで駆け込み的なご相談もあります。そういった場合にも出来るだけ早く訪問を開始しています。最短では相談当日に訪問をし、その日のうちにご自宅で看取りとなったこともありました。
 患者様、患者様を支えるご家族のお気持ちに寄り添い、地域の方のくらしと医療のご希望に応えられるよう頑張っていきたいと思います。

訪問診療――在宅療養支援の経験から
戸倉直実(東葛病院内科・リハビリテーション科)

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戸倉直美医師

 東葛病院付属診療所の訪問診療、それから臨時で行く訪問を往診と言いますが、それは今までもずっとやって来ました。この4月から在宅支援診療所になって変わった点は、何かあったときに今までは「救急の場合は東葛病院が対応します」と言っていたのが、最近は「診療所が24時間相談にのりますよ」と言えるようになったことです。
 今年の4月から、訪問の診療申し込みを受けた患者さんは、9月末まででほぼ80人でした。そのうち24人の方がすでに亡くなられています。申し込みの時点で、30人が末期ケアの状態でした。末期ケアの17人は在宅での看取りを希望されていました。その17人の方のうち11人の方が現実に自宅で亡くなられています。また、訪問診療の開始のときには、いざとなったら入院をと考えておられた3人の方も自宅で看取られました。
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発言する、やわらぎ苑・古田理事長
  最後まで自宅で看取るということはとても大変なことです。けれども、ずっと病院に入院していた人に少しでも自宅に帰る機会があることを知っていただきたいと思います。在宅療養ができた方々の理由を考えてみますと、第1に、本人が自宅にいたいと希望していたこと。第2には、本人の希望をかなえる介護者がいたこと、第3に、病名がはっきりしていて、病状の変化に対応できたこと。第4に、末期状態だということを告知されていて、入院しても治療がないことを納得されていたこと。第5に、介護保険などを利用してベッドなど療養できる環境が整えられていたこと。第6に、苦痛の緩和などにより自宅で過ごすことがつらくない状態を作り出せたこと。第7に、介護している家族が不安を感じつつも克服できたこと。常に相談でき、困ったら入院できるという安心を医療機関が与えられたこと、があげられます。
 自宅で家族に囲まれて最後まで過ごせる方は、恵まれた条件のある人でした。病気があっても、体力が衰えても、今までの生活を維持したいと考えることは自然のことです。人の世話になるようになったら、入院しなければならないと覚悟している人も多いと思います。これからは、家族だけに頼らず、介護制度や訪問診療を検討してください。いざという時入院できる病院もありますから、安心して在宅療養の専門家に相談していただきたいと思います。

在宅介護を経験して… 患者家族の立場から…
成岡純子(流山市在住)

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成岡純子さん

 母を自宅で2年3ヶ月介護して、昨年の5月に在宅のまま最後を看取りました。元気な人でしたが、86歳の時に胃癌の末期であることがわかり、胃と腸をつなぐ手術をしていただきました。2ヶ月の入院で歩くことができなくなりましたが、流動食を食べられるようになった状態で退院しました。
 トイレに「自分で行きたい」という事で、教えていただいた介助方法で連れて行くうち一人で歩けるようになり、お風呂以外はトイレ、着替え等自分でできるようになりました。往診には濱砂先生がいらしてくださいましたが、大変気さくな先生でみえるのを楽しみにしていました。
 訪問看護の方々にも、草花のことや昔話等、楽しそうにおしゃべりしていました。そういう生活が、2年ほど過ぎた頃から食欲がなくなり、あまり長くないのではと思い始めました。先生や訪問看護の方からこういう症状が出たらこうしなさいとその都度指導を受け、また、24時間いつでも対応していただけるとのお話を聞いて安心しました。実際、何度か訪問看護の方の携帯に連絡を入れ指導を仰ぎました。寝たきりになったのは最後の2週間で、それまでは自宅で自由気ままに過ごせましたので、本当に良かったと思います。
 私の場合、妹が居ましたので介護の負担が半分ですみ、また、先生や訪問看護の方々が24時間体制で待機してくださっているのが心強い味方でした。
 自宅で介護したことで、密度の濃い時間を過ごすことができました。また、年寄りと生活することでだんだん老いていく様子を身近に見ることでき、同居の娘にとっても貴重な体験だったと思います。
 最後に、東葛病院の先生や看護師さん、そして江戸川台訪問看護の皆様には本当にお世話になり感謝の気持ちで一杯です。ありがとうございました。

医療者として関わりあえた ひとつの素敵な場面
濱砂一光(東葛病院外科科長)

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濱砂一光医師

 訪問診療を行っている濱砂です。私の実家は九州・宮崎の山奥で、人口300人ぐらいで、東葛地域が全部入るぐらい、人よりもイノシシのほうが多い地域です。祖父母は自宅で家族に看取られて亡くなりました。そのとき僕は間に合わなかったんです。僕は17歳、高校生で兄が20歳でした。兄は「じいさんが亡くなった日はすごかったよ」と言うんですね。九州弁で「じさん死ないた日はすげえかったっちゃが」寝ていて、だんだん息がゆっくり少なくなってきて、下顎呼吸になって。やがて最後にすーっと息をすった後、顔面がさーっと青白くなってそのまま息をしなくなった。その時は医療者ではなかったので、「そうか、そうやって人間は死ぬのか」。
 夕暮れ時で家族が葬儀の準備をしている時に、衝撃的なこととして覚えています。そのあと火葬場でお骨をひろうのですが、のど仏をだれがとらんといけんというときにのど仏は仏さんの形をしているんだと思って。医者になって知ったのですが、首の2番目の骨だった。
 僕が医者になった時に、自分の大きなテーマとして、自宅で亡くなることはあたりまえのことと思って、在宅訪問診療をして。外科をしながら在宅の訪問診療をしているのは、そうした経験からきているのだと思う。
 成岡さんからご両親のお話をいただいたので、訪問診療側からも、お話させてください。成岡さんのお母さんは癌の末期で治せない。食べられるように処置してご自宅にお帰りになられた。通院がたいへんで、往診させていただいた。成岡さんのお父さんとはなんどか面談したくらいですが、お母さんは、はじめはほとんどうごけない状態だった。それがどんどん元気になって、何を食べますか?と聞くと「マグロ」と、何度なに食べたか?聞いてもいつも「マグロ」と。元気になって家の中や庭も歩けるようになった。結果としてうれしい誤算で、あと半年くらいと思っていたのが、お元気に過ごされるようになった。その間、わたしは何をしたのか。何もしていないように見える。何を食べたのか?「マグロ」と聞くくらい。
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演者の発言に聞き入る参加者
 ご自宅で話させていただくことは、今後は徐々に悪くなっていきます。そうなった時にどうしていきたいのか? 病院とご自宅で過ごすことの「違い」などを話します。今の状況で、病院でできることとご自宅でいることに大きな差はない。ただご自宅だと御家族の負担が大きいです。いかに自宅がいいか、私はそのとき熱弁をふるうんです。でも成岡さんの場合はそういうことを言うまでもなかった。今後だんだん呼吸が弱ってくる。苦しいように見えないがそんな状況ではないだろう。最後の場面を話す際に、私が医者として学んだことよりも、祖父母の死で学んだことのほうが大きかったかもしれない。
 成岡さんのお母さんが、お亡くなりになってご自宅へお伺いした時、言葉で表現するのがむずかしいのですが、きれいなお庭があって、ご自宅の中で、御家族がいて、その中央に患者様ご本人がいらっしゃって、その景色の中にわたしたちも入れさせてもらって。悲しくて涙が出る状況なんですが、なぜかうれしくなってしまうような素敵な感じがした。そういう状況、場面に私たち医療者が関わりあえたことがうれしかった。
 もちろん、そういう場面がすべてではなく、人が亡くなる場面でどれがいいのか、悪いのか選べたりはしないのですが、こういう形もひとつの素敵な場面だったと思うのです。




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